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くがねの牧(まき)通信3月号  続き
「何からどう書けばいいのか、分りません。」 熊谷宗矩(むねのり)

 まさか生きているうちにこのような事態に遭遇するとは思ってもいませんでした。気持ちはまったく整理できていません。普段以上に駄文になると思います。どうかご容赦下さい。

 3月11日午後に発生した東日本大震災、大津波の影響で牛乳の配達もストップしておりましたが、約2週間ぶりに再開できる運びとなりました。電話も携帯電話も繋がらなかったため、多くの皆様にご心配をお掛けしましたが、くがねの牧、志ろがねの牧、共に人も牛達も皆元気にしております。多くのご心配の電話やメールを頂きまして、本当に有難うございました。あらためて多くの皆様の温かい支えに感謝しているところです。またこの度の災害では多くの尊い人命や財産が一瞬にして奪われました。被災された方々に心からお見舞い申し上げます。

 私も震災後の翌日から、同じ田野畑村内の羅賀地区に消防団員のひとりとして捜索活動に参加しておりました。そこにあるはずのリアス式海岸の美しい町並みは見る影も無く、辺り一面は瓦礫の山となっています。4年前に亡くなった祖父は昭和8年の三陸大津波で肉親を5名も失った経験があり、生前私達孫にもその津波の恐ろしさを時折語ってくれていましたが、まさかその光景を目の当たりにしようとは思いませんでした。消防団での捜索活動は約10日間におよびましたが、毎日その消え去った集落の前に立つ度に、まるで夢の中に迷い込んだ心境になり、何が現実で何が夢なのかさえ分らない、そんな心境となるほどです。私たちの結婚式を挙げたホテルもよく泊まり歩いた友人の家々も、廃墟と化し、または消え去っているのですから。

 私は地震発生後、防災無線の大津波警報を受けてすぐ、消防自動車に飛び乗り、国道45号線で交通規制をかけていました。が、間もなく無線に飛び込んできた津波襲来の報告に言葉を失いました。「○○地区ですが、津波が児童館まで到達。」「○○地区、多くの自動車が押し流されています。」「聞き取れませんので、もう少しマイクをはなして落ち着いてお願いします。」「○○まで○○まで浸水しています。」など、その無線は途切れる事を知りません。海側の普代方面に向かう車を止めながら、混乱したその内容にこれはただ事ではないと背筋が凍りました。

 そして翌日、海側の集落での捜索活動に合流すると、信じられない光景が広がっていました。あまりの津波の後の凄まじさに、皆言葉を失いました。そして時折津波警報のサイレンが響く中、瓦礫の下などを覗きこみ、生存者がいないか探すのですが、始めのうちは海に近付けば近付くほど身震いがし、余震によって引き起こされた津波で今度は我々が持っていかれないかと、恐怖が全身を覆うのでした。今回の津波では田野畑村内でも多くの方が命を落とし、今現在も行方不明の方もまた多くおります。その中には友人や近所の高校生、同じ半てんを着ていた消防団員の仲間もおります。捜索中に我々が発見した車の中には偶然にも中学時代机を並べた同級生が眠っていました。地元の方には「よく見つけてくれた、有難う。」と涙ながらに労いの言葉をかけて頂きましたが、防風林に無残にも押し潰された車を目にしながら、悔しくてなりませんでした。残されたご家族の気持ちを思うと言葉も見つかりません。

 連日、我々消防団は朝早い時間から捜索活動を行っていた訳ですが、その中には海側の消防団員ももちろんおります。当然家族や親族を失った人もあれば家を流された人も多く、避難所で寝泊まりし、昼間は消防団員のひとりとして、家族や仲間の捜索、貴重品などを探す毎日です。雪が降るような寒い日もあり、普通に自宅へ戻り寝起きしている我々でも厳しい環境なのですから、被災者の彼らはもっともっと大変だったと思います。しかし、彼らは逆に我々山側の分団員に対しても「毎日すまない。ありがとう。」と、優しい気遣いをいつも忘れません。多くの困難に直面しているにもかかわらず、肉体的にも精神的にも厳しい状況にあるにもかかわらず、努めて明るく気丈に振る舞う彼らの姿に、逆にこちらが励まされているようです。

 そして、不眠不休で避難所にいる方をお世話する役場関係の皆さんや多くのボランティアスタッフの皆さん。この中にも同じ境遇の被災者の方も多くおりますが、自分の事は後回しで皆さんを誠心誠意お世話している姿を見て、大きな感銘を受けました。その皆さんの姿に接し、強く、強く思うのです。復興という言葉も気軽に吐ける状態では決してありません。しかし、「希望を決して諦めない。」と。
災害後、日本全国からお見舞いや救援物資が連日届いております。また様々な団体などで義援金も受け付けられ、多くの方が募金されています。各家庭での節電もそうです。全国の皆様の善意に心より感謝申し上げます。
| 頑固オヤジ | 熊谷農場から | 16:35 | comments(3) | - |
本当に「何からどう書けばいいのか分かりません」という
ことばがその悲惨さを想像させます。
ここまで書く間にもどんなにか胸が苦しくなったことと
思います。読む側にその慟哭が伝わってきます。
多くこういう現場に立ち会っている警察官や自衛隊の
方たちも、心の病気を抱えるといいます。
今回の震災では それこそ一般の何十万人の方たちが
身命を賭して救助や捜索につくしてくれています。
これからの生の中で
何度も何度も思いだされるであろう辛い光景を
ずっと抱えていかれるのかと思うと
いたたまれなくなります。
特に同じ村内の知人友人親戚たちなのですから・・

明日で四十九日になるそうです。
ただただ祈るのみです。
| マッキー | 2011/04/27 11:13 PM |

熊谷宗矩様

 以前、農水省広報誌でお世話になったライターの大岳です。
 大震災でお亡くなりになったたくさんの皆さんには、心から哀悼の意を捧げます。
 熊谷牧場の皆さん、無事でよかった! 本当にほっとしました。

 報道映像によれば、津波によって田野畑の沿岸部はひどい被害で、鉄道の駅は無残な姿になっていました。あの美しかった海辺の集落の姿は一変していました。

 震災が発生してから心配で心配で、宗矩さんたちは無事だろうか、山は崩落していないだろうか、牛たちは無事だろうか、飼料の調達は大丈夫だろうかと毎日思わない日はありませんでした。
 当たり前のことながら電話は通じないし、携帯の着信履歴に宗矩さんの番号も残っていなかった。ああ、どうしただろう、どうしているだろうと安否確認の方法も考えたけれど、無事でいても、おそらく復旧に奔走し、大変な日々を過ごしているだろうから、少し落ち着いたら、何とか連絡できる手立てを探そうかと思っていました。

 そして、ふとホームページを思い出して見てみたら、ブログがちゃんと更新されていた! 嬉しかったです、本当に。涙が出ました。
 酪農も再開しているとのことで、胸をなでおろしました。まだ見つかっていない方々を含め、亡くなられた宗矩さんのお友達、いきなり命をもぎ取られた東北の方たちのために、宗矩さんたちは耐えて生き延び、役目を全うしなくてはなりませんね。
 それは被災地から遠くにいて、思いしか馳せられない私たちも同じです。

 これ以上頑張りようもないくらい耐えている方々に「頑張って」などとはとても言えず、「どうぞこらえてください」としか言いようがありません。
 宗矩さん、何か必要な物はありますか。私たちにできることはありますか。何かあったらどうぞ遠慮なくお知らせください。
| 大岳美帆 | 2011/05/04 12:56 PM |

熊谷さん!!

初めて書き込みます。
6年前に東京農大で一緒に講演会をやった東京の農家、中村です。
今回の震災お見舞い申しあげます。
このブログで東北の農家の皆さんのご苦労、消防団員のご苦労を知りました。
そして、今も福島の原発事故で多くの人が苦しめられている中、置き去りにされている家畜が多くいることも、ようやく報道されるようになってきました。新潟中越地震の際には、山越村から1頭ずつヘリコプターで和牛を移動しているのが報道されていましたが、今回は無残なことになっているようです。本当に心苦しいです。

自然の脅威、と簡単に言ってしまうのが申し訳ないくらいですが、その中で、自然に共生した農業、酪農を実践している熊谷さんの取り組みは、必ずや注目をされることと思います。

岩手の地酒「南部美人」の蔵元が、東北のお酒を飲んでほしいと訴えてユーチューブに動画を投稿されたのが注目を浴びました。あの蔵元の久慈浩介さんは、第102回収穫祭で醸造学科の統一委員長をされた私たちの先輩です。
久慈先輩が言われるように、私たちも自分たちの仕事を通じ、経済を動かして復興に協力しなければならないと思っています。
東北の基幹産業は農林水産業。私も協力します。
| | 2011/05/05 12:41 AM |










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