☆やまちブログ☆(志ろがねの牧だよ!)

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大震災が来た!(3/21時点)高1雄志
3月11日の午後2時46分、マグニチュード9.0の大きな地震がありました。この時、私は二階で勉強をしていました。この大きな地震が来る前から、震度2ぐらいの地震はちょこちょこと来ていました。そして、最初は小さかったので「また、地震か」と云う軽い気持ちでした。しかし、地震はどんどん強くなって行き、軽い気持ちが焦る気持ちに変りました。

尋常でないことに気付いた私は、その時二階にいた姉と階段をかけ降り外にでました。すると、どんどん地震は大きくなり、トラクターや車が動き出しそうなくらい上下左右に揺れ、怖い気持ちが高まるばかりでした。外に居た長男と3人で家が壊れないことを、ただ、ただ祈ることしかできませんでした。5〜6分続いた地震はやっと治まり、なんとか家は壊れる事はありませんでした。しかし、足はガクガク、心臓もドクドクでした。その後も、4〜5分間隔で余震が来ました。

そして、震度を確認するため家に入った私たちは、テレビを点けました。がしかし、停電してしまい点きませんでした。長男は、消防団員なので急いで行ってしまいました。出かけていた両親と次男が帰って来て皆で、カーナビで今の状況を見ました。すると、大津波警報が出ていました。

そうなると、当然、沿岸の地域が不安になって来ました。もう1つ、停電になったということは、これからの朝晩の搾乳を手搾りでやる事なるになるということです。そして、始まった搾乳。父、母、次男の4人でやりました。しかし、やり慣れてない私は、すぐ腕が疲れてしまいます。でも、「乳房炎にしないように……」と思いながら頑張ってやりました。

大津波は来ていました。そして、夜の搾乳が終わり家に戻ると、真っ暗。ランプやロウソクを使い家を明かるくしました。断食の時のランプは、「暗いなー」しか思いませんが、今回のランプは暗いとかではなく、微妙な明るさに心細くなり、沿岸の友達の心配をすると、悲しくなるだけでした。
 
家族と話し合い、出荷できなくなった牛乳を被災地へ持って行くことになりました。私もついて行きました。現地に着くと、被災した人たちでいっぱいでした。それを見た瞬間、胸が一杯になりました。その晩は、布団には入るものの、ちょっとした地震や大津波での被害、友達のことを思うと怖くて眠れませんでした。

12日と13日の朝まで手搾りで搾乳をやりました。たった四回の手搾りでしたが、かなり大変でした。しかし、13日の夜には電気が入ったので機械で搾ることになりました。このとき、今までどれだけ楽をしてきたかが分かりました。

電気は点きましたが、牛乳は出荷ができないため被災地に持って行くしかありませんでした。しかし、他の酪農家では牛乳を捨てているのでそのことを考えると有難いし、すごく気の毒に思います。

牛乳配達に深くかかわった事のない私は、被災地に牛乳を持って行く時は毎回付いて行きました。現地に着き牛乳を持って行くと、皆喜んでいました。私は、皆が喜ぶ姿を見て嬉しかったのと同時に、これからも“皆に喜んでもらえるように頑張る”という気持ちが、今まで以上に強まりました。今、自分に出来る事はそれだけだと思いました。

私は今回の災害により、これから日本全国はどうなってしまうのかが一番心配です。しかし、私が心配をしても何一つ変る事はありません。なので、私は自分にできることを一生懸命やろうと思っています。また、今回被害に遭った人達の事を「被災者」とは、書きたくはありませんでしたが、言葉が見つからないため書きました。

今回の災害により、死者、行方不明者が万という単位になってしまい、被害に遭った人達には、言葉で何と言っていいのか分かりませんが、とにかく、頑張って欲しいです。

今回の事は、誰も忘れる事のできない日になりましたが、1日でも早く田野畑、東北、そして日本全国に転機が訪れることを祈っています。また、私たちも1日1日を大切に過ごしていきたいです。
| 頑固オヤジ | 雄志 | 08:25 | comments(0) | - |









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