☆やまちブログ☆(志ろがねの牧だよ!)

ちっちゃな出来事・ビックリ・喜び・
悲しみ・感動…etc
沢山『足跡』残していこう!!

鈴木斉先生、ご心配をお掛けしました。
メール有り難うございます。

頑固オヤジは不在中です。

壮太が入院したあの日、僕は盛岡市内の牛乳配達に行っていましたが、
帰宅した時に壮太が入院した事を聞き驚きました。

台風ですが、風は殆んどありませんでしたが雨が結構降り、
僕は消防団に入っている為、20時頃に出動しましたが異常無しでした。

農場内の家の側にある小さな川も、大雨のせいで溢れていました。

今年は自然の恐ろしい破壊力を直接目で見て肌で感じ、頼むから勘弁してくれという気持ちです。
| 頑固オヤジ | 公太郎 | 22:43 | comments(0) | - |
大津波襲来!!(3/20時点)公太郎

  3/12朝 甲地公民館での炊き出し おにぎり

3月11日(金)14時から15時の間に田野畑村でも大地震が発生しました。この日は父と母、次男の恭次が農場の関係で海岸沿いにある島越地区に向かっている時でした。

私と次女の令子と四男の雄志は農場に残ってそれなりの仕事をやっている時でした。突然小さな揺れから、たちまち大きな揺れに変りました。令子も雄志も家から外に慌てて出て来ました。周りの山々が「ゴ〜」と鳴り響き建物や停止しているトラクターが信じられないほど揺れていました。

農場の牛たちは餌を食べている牛や噛み返しをして休んでいる様子でしたが、大きな揺れに変った時、さすがにビックリしたようで寝ている牛も飛び起き、餌を食べている牛も食べるのを止めて、バラバラだった群れの状態が体をくっつけるようにして集まっていました。

私自身もとうとうこの日が来てしまったかと思いながら手をあわせて治まってくれと祈りました。この日の地震は非常に長く、「いつまで揺れているんだ」と思うくらい長く揺れていました。揺れが治まったかと思うと何分も経たない内に何回か繰り返されました。すっかり治まった時には私の手足がガクガクに震えていました。本当に恐ろしかったです。

急いで家に入りテレビにスイッチを入れようとしたらすでに停電になってしまいブレーカも下がっていない状態でした。私は消防服に着替えて近所の方と3分団の地区の見回りを行いました。田野畑村の山沿いや町の方では何とか財産を失わずに済み、とても安心していましたが、村のゆう線にも大津波警報が発令され高台に非難をしろとの指示が入りました。それから1時間以上経過し、消防3分団は海沿いの平井賀地区に向かい、現地に到着した時、我々消防団員の皆が信じられない光景を目にして「うわ〜ひでえな〜!」と口に出たのでした。まさかこんな大ごとになるとは思ってもいませんでした。

昭和の三陸大津波以降からの津波はは10〜20cmだったという事や、コンクリートで高くガードを作っていた事から、大丈夫かなという気持ちもあったようです。今回の被害の光景を目の当たりにし、津波の高さは10mだそうです。(15〜20mと云う人もいます。)

田野畑村の羅賀地区、平井賀地区、明戸地区、島越地区で人の命や様々な財産が失われてしまいました。島越地区では鉄道も駅も無くなってしまいました。羅賀地区でも羅賀荘の形は残っていますが、四階まで波が来ており建物の中はめちゃくちゃです。

私も消防団なので被災地の捜索を農場の仕事の合間を見て手伝わさせて頂いております。沢山の被災者の方々に行方が分からなくなってしまった財産を少しでも皆さんのお手元にお届け出来るように私自身も自分の出来る範囲で力になる事、そして希望を無くし悲しまれている方に財産(貴重品のみになりますが)をお届けする事で、微々たる事ですが少しでも良かったという気持ちになって頂けるように捜索を頑張りたいと思います。

山沿いでは酪農家さんたちも電気は来るようになりましたが、今の所、餌を与えて搾った牛乳を一週間以上もただ廃棄しなくてはならない事や養鶏場でも燃料が制限されている為、餌が運ばれて来ないという問題もあり、被災者だけでなく山沿いの方たちも違った意味で大変な状況になってしまっていることも事実です。
でも命や財産を失った方々を考えると、こんな事を思ったら被災者に申し訳ないと思いますが、でも早く復旧して欲しいよ〜!(涙)



| 頑固オヤジ | 公太郎 | 07:15 | comments(0) | - |
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