☆やまちブログ☆(志ろがねの牧だよ!)

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恐ろしい海に(3/17時点)登志子
三陸海岸として美しい海、田野畑村民に取っても自慢の海岸が、一瞬にして恐ろしい地獄の海に変身してしまいました。

完璧であった筈の防波堤や美しい林の木々をなぎ倒し、沢山の人の命、そして家・車、大切なものが全てのみ込まれてしまいました。
本当に大自然の恐ろしさを見せつけられました。そして今も行方不明者を捜しに、消防団や自衛隊の人達が探し続けています。

3月11日の14時46分までは、誰もがこんなに恐ろしいことになろうとは、思ってもいなかったことでしょう。大震災から一週間になろうとしています。今までいかにゼイタクな生活をしていたか。家中のみんなが反省させられました。

山手の私たちは、家族も牛も家も車も、何一つ無くなっていません。それだけに同じ田野畑の人たちが何日か前まで笑顔で会っていたのに、波にさらわれ、全てを失う結果になろうとは・・。

震災後は停電になり、水も電気も電話も使えなくなり、川から水を牛乳の缶に取り、上澄みでお米を研ぎ、ローソクと20年前に使っていたランプを点けてご飯を炊きました。

大きな余震が度々来ていたため、ガスを点けたり消したり、外に逃げたりの連続でしたが、ビクビクしながら炊いたご飯でした。本来なら玄米ですが、危険を感じて速く炊ける白米にしました。ガスを使うのが怖かったので、家の鶏が産んでくれた卵をご飯に掛けて、ランプの下でビクビクドキドキの夕食でした。

二日間はいつでも逃げられるように、防寒着のまま床につきました。大きな余震が何回もあり、4年の壮太は泣きべそをかいていました。

夜遅く自治会長さんご夫婦が「大変な事が起きちゃったね。」「親戚の家が波に流されちゃったよ。行方不明の人もいるんだよ。連絡付けたくっても電話が通じないので、何も分からないよ。」と涙ながらに話していました。「明日の朝6時から公民館で炊き出しのおにぎりを作るから、お米を炊いて来て欲しい。」とガスで炊ける人を探しながら、電話がないので貴重なガソリンを使い、一軒一軒寒い夜にお願いしに来たのでした。

次の日、公民館に行って見ると沢山の人達が、炊き出しに来ていました。
被災者の辛い悲しい不安な思いを考えたら、自分たちに出来ることがあれば何でもやらせて頂こうという、皆さんの思いが一つになり、たちまちおにぎりができ、避難所に届ける事ができました。

突然の出来事なのに、地域の人たちの団結力には本当に感動致しました。あたり前の生活が出来なくなってしまった今、みんなで助け合い、励まし合い、生活して行く事しか生きる道はないと思います。

いまテレビを観ると、この大震災を皆が悲しみ、被災者の人たちの役に立ちたいと、それぞれの立場から無料入浴や無料ラーメンなど、優しい温かい思いの輪が次々に広がり、世界中からも沢山の支援が生まれているようです。これらに感謝しつつ、この気持ちをいつまでも持ち続け、この大混乱を克服して行きたいです。被災者の人達が安心して生活できることを祈っています。

今回のことで、今からは便利さの追求を止めて、無駄のない節約生活をすることにし、不便でも良いから、安心して皆が生活できる世の中になって欲しいと願っています。
| 頑固オヤジ | オラホの母ちゃん | 16:51 | comments(0) | - |
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