☆やまちブログ☆(志ろがねの牧だよ!)

ちっちゃな出来事・ビックリ・喜び・
悲しみ・感動…etc
沢山『足跡』残していこう!!

「時に流されジッと我慢?」  (2月24日のお便りから)
 「時に流され、ジッと我慢?」
さて、今年も二月が終わろうとしております。どんどん日は経って行きます。
異常な気候は、今までにない雪を降らせ、寒さも異常になっております。
我々はそれでも、ジッと我慢するしかありません。

お天気ばかりではありません。
TPPも特定機密保護法も、こちらは人為ではありますが、ジッと我慢するしかないのでしょうか。

孫が生まれて2カ月が過ぎ、やがて3カ月になろうとしております。
生命は生まれるのは奇跡的ですが、生まれれば成長が早いこと。
どんどんオガリ(成長し)、こちらはその分どんどんトショリ(年寄り)ます。(笑)

これもご縁です。
今までを振り返ってみると、何と幸せな人生だったことか。
おめでたいのかな?(笑)

ダマされたりもしたし、褒められたりもしましたが、
今までは何とかつぶれることもなく、やって来ることができました。
今からの子どもたちが生きて行くのには、大変な時代だと思います。
私たち大人は、子孫にとって本当に素晴らしい国、地域を作り、守って来たのでしょうか?

一次産業は衰退し、自信も誇りも失せ、
若者たちに魅力的なものではなくなってしまいました。
でも私はどうしても諦められないのです。

だって、素晴らしい自然、素晴らしい海、素晴らしい山々に囲まれて、
色々な産物も地域ごとに沢山あるのです。
どうして元気をなくせましょう。

それらの力を地域の力にどうしてできないのでしょう。
何かがあるのです。
流通も昔とは違います。翌日配達の時代です。
クール便の発展で、生ものも送れるようになったのです。

田野畑村のような僻地と言われる地域でも、東京に翌日配達ができるのです。
第一次産業に携わっているから思うのかも知れませんが、
素晴らしいモノが素晴らしいままで、お届けできることを考える時、
またお客様が口にして喜んでいることを思う時、
これを産業にしないで良いのだろうかと思うほどです。
 
幼なじみのカメラマンをしている友人が、できたばかりの山地酪農牛乳を
応援するつもりで、撮ってくれた写真、約20年前のものですが、


左から公太郎・純平・恭次・令子で、まだ壮太は仲間に入っていません。(笑)
都は中学校に行っていて入っていません。
雄志もまだ赤ちゃんで入っていません。

全部で7人の子ども達です。
こんな長い時間が過ぎたのかと今更ながら思います。

今は北海道札幌市から九州は福岡市まで、お客様がいて下さり、
支えて下さっております。
今は写真の内の三人が結婚し二人が父親になっています。


次男恭次の赤ちゃんです。健生(けんせい)です。
今は京都におります。段々に恭次が迎えに行きます。
(何だか小生の赤ちゃん時代に似ているような・・・・?)(笑)

都は岡山に住んで、3人の子どもと一緒に、旦那様を中心とした幸せな家庭を築いています。

これから今までになかった、何とか良い時代を築きたいものです。草々。
| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 20:27 | comments(4) | trackbacks(0) |
かつて附属中の生徒さん達が歌ってくれた「大地讃頌」
前略、一月も下旬になり、寒さ厳しい日々が続いておりますが、皆様いかがお過ごしですか?晴れれば温かい日もあるようになって来ましたね。
 盛岡市の岩大附属中の生徒さん達が、体験学習のお礼に歌を合唱してくれるのですが、随分前のことにはなりますが「我が行く道は、はるけき彼方。・・・望みに我が胸、高鳴り踊るよ。・・・・」と云う歌がありますが(題名は知りません)、夢と希望に向かう若者の心情を歌っているのです。
 夢や希望と云うものは、そうしたものでなければならないと思います。かつて大学で学び、早く開拓生活に入りたくて卒業式で胸が躍ったことを思い出します。しかし現実は余りにも厳しく、知らないことばかりでした。あるのは夢と希望のみ。しかし「できないかも知れない」とは、ユメユメ思いませんでした。チェンソー等使ったことのない機械を、使えないところから、学び(まねび)ながら何とか木も切れるようになって来ました。

 実際に大切なのは人生を掛けた目標で、何をどうしたいのかが、ハッキリしている必要があるような気がします。「なぜ何のために自分はこの道を行くのか」が大切な気がします。

 また、ある時“大地讃頌(だいちさんしょう)”を歌ってくれました。「母なる大地のふところに われら人の子の喜びはある 大地を愛せよ 大地に生きる人の子ら その立つ土に感謝せよ  平和な大地を 静かな大地を・・・」と続くのです。初めて聞いた感動に、自然に涙があふれました。懸命に歌ってくれる子どもたちにも勿論でしたが、自分が取り組んでいる「山地酪農」と云う生き方。土に向き合い、牛と云う家畜と向き合い、厳しいけれど感謝しながら豊かさの道を進もうとして来たのです。

改めて、基本である「大地」に感謝して進む道は、素晴らしいことを再確認させて頂いたのでした。「あなたの生き方は素晴らしいのだ!」と、この歌に言ってもらったような気がしたのでした。

 また百姓は、天地の恵みである雨(水)と、お天道様の恵みがなければできないのです。日々の苦しみが先になり、当然の「感謝する」ことを忘れてはできないのです。それを正に指摘されたような心境でもありました。そしてもう一つ大切なこと。「人様の命に貢献する」使命です。これは百姓の誇りなのです。人々の心と体を健康にする百姓道は、なくてはならない人の道なのです。そこに貢献できる幸せは、言葉にできない素晴らしいモノだと思います。その道を与えてくれた神仏と恩師のご縁に感謝したいものです。


 健生です。 ジーバカだよ。(笑) 命に感謝。

「大地」と、ひとくくりにしてしまいますが、実はおびただしい数の微生物や菌類が生きています。そう云う意味では一握りの土の中に宇宙を感じもします。
善玉も悪玉も全てを育て持つ大地。ここに人の生き方も感じてしまいます。母なる生き方とは、そうした全てを包み込む、広い愛。これは男でも女でもそうだと思うのです。自己中心の好き嫌いをせずに、生きるすべてに感謝して認め、命に敬意をもって接する時、おのずと愛に満ちた自分の人生が見えて来るように思います。

人格者は苦難や病気になった時に、「ありがとう!」と感謝するそうです。そこまではなかなか行きませんが、「食」や「仕事」や「人」などに好き嫌いをせずに感謝して行くことはできるような気がします。
私たちは人間です。人らしい生き方とは、けだもののように奪うことではなく、譲り、与え、信じることのような気がします。これは人にしかできないことだからです。これを一言でいえば「愛」でしょう。人や物を愛することは、言いかえれば人の道だと思います。

こう云うことは考えているだけで、豊かな気持ちになって来ます。心が温まってくるのです。だから「感謝」が大切なのでしょう。「感謝」ができる人は健全です。疑わない(直ぐにダマされますが)で、感謝して生きて行きたいものです。アホダラ教でした。お元気で!
| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 22:35 | comments(0) | trackbacks(0) |
我々の時代が来る!
 成人の日は、田野畑村では以前から8月にやっております。
それは冬は寒くて集まりにくいことや、危険でもあるからでしょう。
何といっても寒さは人を寄せ付けません。生活するだけでも本当に大変になります。
それで村では8月になっているのだと思います。

 でも、思えばこの四季があることは、大変ありがたいことです。
牛たちに対して、寒さ暑さを肌身で感じるからこそ、本当に健康で強い牛になる
と思っていますが、−10℃以下の余りの寒さゆえに、死んでしまう牛も時々いるのです。

自然はそれは厳しいものです。
今は極寒の時や、真夏日の時に、暑さ寒さから逃れられる牛舎を建てることが、
必要だと思っています。寒い時には林の木の中に身を寄せて、風から身を守っています。
草が充分にあれば、健康でいられると信じてはいます。

野生の動物たちは常に命がけです。誰も守ってくれる者もいない中、生きております。
実際に何があろうと、何が起きようと希望を失わないで生きることです。

人にも通じることでしょう。牛の話から自然に人間の話になっておりますが、
今の時代は、外国も含めて中々人に守ってはもらえない時代になっているように思います。

そんな中、孤独を感じつつもご縁で頂いた命、神仏のみが見守ってくれている
ような気がします。でもそれがあれば十分です。神仏の思し召しなくば、
存在しなかった自分の命です。純粋に思う方に行くように努力することです。
これは本当に行こうと思うならば、覚悟しての努力が必要ですが、
きっと応えてくれると思います。諦めないで進めることを信じるのです。

結局はそれしかないように思います。
逆境に立った時も、岐路に立った時も、本当はどちらに進めば良いかなんて、
誰にも分かる筈もないのです。

でも、判断して進まなければならない時、欲得でなく気が赴くままに進むしかないでしょう。
間違ったら戻れば良いと思って、でも真剣に懸命に進むのです。
そんな時、後になって良かったと思える時が来る筈です。

 要するに誠心誠意で進むことです。

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 (昨年10月に貰って来た頃のマロ)


 (2月2日:今のマロ)成長しますね。人間の一年がひと月くらいかな?
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 私も全く分からない世界に足を踏み入れて来ましたが“渡る世間に鬼はなし”と云いますが、
厳しさも経験すると同時に、有難さも沢山味わって参りました。
厳しさを経験している時は、「世の中は何て厳しいのだろう」と思ったものですが、
結局はつぶれた訳ではありませんでした。(今からつぶれるかも知れませんが?)
危ういところで救われても来ました。
これは見えないけれど、大きな力に守られているとしか思えないのです。

また物事が発進する時も、やろうとしても時期が来なければ動きませんが、
努力を重ねていると好機到来で、きっといつか全ての歯車がかみ合って、
動き出す時が来るものだと思うのです。何度かそういう場面を経験しています。
努力が何年にもわたることもあると思います。

そういう時は成功した時のことを思い描いて欲しいのです。
世の中に沢山の笑顔が生まれることを思ったら、今の苦しみなど大したことはない、
と腹をくくれるのです。そう云う価値のある目的意識を持つことは、
もっとも重要なことだとも思います。だから頑張れるし、だから苦しくてもしのげるのです。

先人たちの道の求め方に、多くが語られています。八方塞がりの時でも決して
諦めない精神は、一体どこから生まれて来たのでしょう。

リヤカーで歩いて商売をやっていた松下幸之助が、
人が喜ぶモノを作ってパナソニックの前身を作りました。
お金があったからできたのでは決してありませんでした。

職人肌の本田宗一郎(本田技研)もそうでした。企業を興してきた人たちですが、
今もその時のように、時代は動いていると思います。
「いや、時代が違う」と良く言われますが、考えてみて下さい。
これだけモノがあふれているように見えますが、本物がほとんどありません。
似せたモノばかりです。
こんな時代だからこそ、地方に住む、本物の中に住む我々の出番だとは思いませんか。
今からが本当の我々の時代なのです。頑張りましょう。!!!!

やっぱりアホダラ教でした。
| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 15:58 | comments(0) | trackbacks(0) |
雪のメリークリスマス!
皆様、大変ご無沙汰しております。申し訳ありません。
19日に雪が近いことがうかがわれました。



裏の深山には雪が積もり、真っ白になりました。
二日後の21日、本格的に降りました。



農場への道路から見た景色です。結構綺麗です。

翌22日は快晴。
美しい銀世界が展開されました。



育成牛舎方面です。奥に小織ハウスが見えています。
綺麗でしょう?



牛舎と採草地方面です。
木々がわた帽子をかぶり、温かささえ感じさせます。
六本木ヒルズや銀座の人為イルミネーションよりきれいでしょう!
自慢の光景です。

そもそも広い視野が自慢ですが、その広い視野に人家が一軒も見えません。
日本は狭いと云うことになっておりますが、何と、広いですよ。
(田野畑村だけか?)(笑)

今年も一年間が過ぎようとしております。
雪のお陰で、仕事ができなくなりました。
結局今年も仕事を終わらせること無く、雪でした。ドントハレ!
晴れてないか?

| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 11:37 | comments(4) | trackbacks(0) |
「将来構想」にワクワクして来るのです。
ヒゲの鈴木先生
ありがとうございます。

そうですね、子どもたちがこの職場に、年中無休と無給で休みもないし、金にもならないのに、帰って来てくれることは本当にありがたいと思っています。

でも気を付けないと、コケれば全部がダメになってしまいますよね。
小生は家族だけでなく、村の若者たちやお年寄りも、帰って来たい村、住んでいたい村にならなければいけない、と思うのです。

訪問者が住みたくなる村。これは天才・二宮尊徳も志した理想の村の姿です。そして次々と実現しました。本当に大したものです。

小生は尊徳のような天才ではありませんので、自分の得意分野(山地酪農)で是非とも頑張りたいと思っています。田野畑村の山々が、牧山となって牛や羊が沢山放牧されていて、来た人たちが乗馬や馬車で楽しめる。(実質は観光にもなる)

農家や漁家が生き生きと暮らせるところは、素晴らしいに決まっています。そこはそのまま観光にもなる、と云うことです。

美しい自然に身を置き、素晴らしい農法で山も林産と畜産で生き生きとして来る。何よりもここに住んでいる人間が、ここの生活を楽しく営んでいる。

恩師の猶原博士が夢に抱いた理想郷は、「ひと山を牛に預けて昼寝かな」と云うのんきな農村風景です。そして尽きることなく日々美味しい牛乳が山から生まれて来るのです。


  (開拓も一歩ずつ、入口が出来て来ました。)

みんながニコニコ生活して、動物も植物も元気に生きられる場所。
これが小生の理想とする山地酪農なのです。こう云うことは考えているだけで、心豊かになり、幸せになります。

現実をみる時、余りにも道は遠いけど、自分に許される限り、本当に頑張りたいと思います。心配などしている暇は無いのです。
| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 07:19 | comments(2) | - |
早稲田OBのMKさんへ
思惟の森の会OBのMKです。いつもお世話になっております。
>
> 先日は先遣隊および本隊に牛乳の差し入れ、ありがとう
> ございました。皆、喜んで牛乳をいただきました。
> また、ブログに記事を載せていただき、ありがとう
> ございました(写真は少し照れくさいです)。
>
> さて、今回の件に関連して感じたことを
> 3点書かせていただきます(長文失礼します)。
>
> 1 村に対する思い
>
> 今回の件は一生に一度であるとの思いや、今回
> 田野畑に行かずにいつ行くのかという思いが
> ありました。これは私のみならず、他のOBも
> 同様だったと思います。これは多数のメールのやりとりや
> 予想を上回ったOB参加者の数から分かります。
>
> OBは多数いますが、特にその中でも自分の価値観の形成や
> その後の人生に田野畑から大きく影響を受けた人が
> いてもたってもいられずはせ参じたものと思っています。
>
> しかし、今回私達はお力になるべく村にうかがった
> わけですが、結果的にはいつもと同様、逆に村の方から
> 元気をいただくことになりました(これは参加者から
> 直接聞いたわけではありませんが、聞くまでもなく
> 感じます)。
>
> 2 現役学生への思い
>
> 私と一緒に行った学生は殆ど、ゴールデン・ウィーク
> にも田野畑に行きました。学生だからとか授業が
> 休みだからと他人が言うことはできますが、夜行バスで
> 往復した直後に再度、田野畑に行くのはしんどいことです。
>
> 確かに彼等は今どきの若者ではありますが、自分の自由を
> 犠牲にすることをいとわず、自主的に田野畑に向かった
> ことをOBとして誇りに思います。
>
> 3 先人が播いた種
>
> 2については、今回、米国アーラム大学の一期生が青鹿寮で一緒に
> 作業しました。また、盛岡にいる学生が田野畑に来たがって
> いるという話や、海の向こうで募金活動をしていることを
> 聞いています。
>
> いずれも、早野前村長と故小田先生、故ベイリー先生の幸運な
> 出会いが元で発展したものです。
> 早野前村長もまさかこのような形で花開くとは想像だに
> されていなかったでしょうが、今回の震災に反応したこれらの
> グループを見ていると、まさに早野前村長が播いた種が実を
> 結んだと感じざるを得ません。
>
> 残念ながら、2と3についてはベイリー先生の不在や
> 関係者の交代などから、交流は過去のものになって
> しまいました。それでも当時のことを覚えている方が
> 田野畑のことを思い、いてもたってもいられずに行動を
> 起こしたことは素晴らしいことだと思います。
>
> 1については、小田先生亡き後も幸運にも続いています。
> 続いている理由の一つには、
> 私達を受け入れてくださる村の方のご支援があります。
> もう一つには、小田先生の確固たる考えです。
> 私達が合宿を行い、村の方のお宅にお邪魔するという
> 形態こそが小田先生の考えが具体化したものであり、
> それを50年近く変わらずに続けたことで、今回、
> 10代の学生から50代のOBまでが一丸と
> なって行動を起こすことができました。
> まさに私達の中には、知らずしらずの内に脈々と
> 小田DNAが受け継がれており、この点が永く続いている
> 一因だと感じました。
>
> 最後は我田引水かつ自画自賛めいた結論になってしまい、
> すみません。
>
> 要は「ありがとう田野畑」ってことですね。あれ、
> 一言ですんじゃいました。
>
> それでは、失礼いたします。


{先日来訪された、早稲田OBのMKさんからのメールでした。
一部割愛させて頂きました。いつも温かい目を向けて下さり、本当にありがとうございます。小生はまず青鹿寮へは行かないのですが、今回お邪魔してお懐かしい面々と顔を合わせて、感動致しました。自分のことのように本当に嬉しかったです。}
| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 12:05 | comments(0) | - |
「ありがたきこと」
本当にマッキ−さんの言う通りです。
(コメントをありがとうございます。)

 皆様お元気ですか。今回の大震災は、直接被災された方は勿論ですが、間接被災者も多いことが分かって参りましたね。

 宮古市の洗濯屋さんでは、お客様の多くが浜の方たちだったので「どうにもならないですよ!」と、かなりお辛そうな感じでした。米屋さん・豆腐屋さん・薬屋さん・車屋さん等など、何屋さんでも色々な形で、こうして大変な事態になっているのです。

 大工さんには注文が入っても、資材がないのでどうにもならないのだそうです。こんな時は、まず被災者の皆さんが仮設住宅に落ち着いて、全ての次が始まるような気がします。

 今になると随分、がれきの片付けが進んで来ましたが、今回ほど自衛隊の方々を有難く思ったことはありませんでした。危険な所でもドンドン処理してくれる心強さには感動すら覚えました。有難さが身にしみました。でも、まだまだがれきの処理だけでも半年以上掛るそうです。その間に全く新しい復興の構想を立てて置いて欲しいものです。

 正直に言うと、今までは自衛隊には、余り良い思いを持っていませんでした。むしろ「無くても良いかも」くらいに思っていました。原発が今までは必要悪と思っていましたが、今は「絶対反対!!」の強い意識になっていますが、津波などでは、ここまで色々想定して考えたことは全くありませんでした。

 ここまでの事態となり、自衛隊に身近でここまで助けられて、実際に目の当たりにした“ありがたさ”は、理屈ではありません。自衛隊のキャンプにも田野畑山地酪農牛乳をお届したい心境です。電気がない交差点での交通整理。がれきの撤去。道路の保持。場合によってはテントのお風呂の設営や炊き出しまで。本当にお疲れ様です。(警察などでも全国各地から道警や県警の協力もありますね。沖縄県警まで来てくれています。)

 また色々な所に多くのボランティアの方が集まって下さっている由。心温まる思いで、本当にありがたく思います。全国各地から時間とお金を割いて、奉仕に来て下さる方々。23日は野田村災害対策本部前で朝、集まっている所でした。それぞれにバスに乗って出かけておりました。皆さん不思議と明るい顔です。心の中で「怪我の無いように頑張って下さい。」と祈りました。

 こうしたことが、被災地で毎日繰り返されているのですから、本当に有難く思います。阪神淡路の時の恩返しだったり、中越の時の恩返しだったり、家族や親戚の救援だったり。居ても立っても居られない方だったり。
 泥だらけの家の掃除などでも、大変感謝されておりますね。濡れた畳や家具出しは、とても人ごとではないありがたさを感じています。

 こうして見ると、誰かが言っておりましたが、人間は生まれながらにして善人に生れていると思います。生善説です。だって、生悪説なら考えられないことの連続です。中には生悪説的な生き方を、この時とばかりやっている人もいるそうですが、どう考えても少数でしょう。このご好意の連続の内に、案外早く奇跡的な復興になって欲しいものです。


田老・宮古方面でもそうですが、何か海が大変恐ろしく感じられます。この美しい海が暴れた事で、多くの人が(自分を含めて)大変な事になってしまったのです。

 ひと時代前までは大自然の脅威がそのまま信仰にもなって、神仏を敬うことにつながっていたと思いますが、何でも人為でやれることが、神仏への畏敬の念も無くなってしまい、信仰心が薄れてしまったのだと思います。信仰の原点は自然に対する恐怖と感謝。そして「死」に対する恐怖でしょう。悲しいかな現代は自分も含めてそれを忘れかけてしまっていたのではないでしょうか。

 限られた時間を与えられて生まれてしまったのですから、今更何を恨んでも仕方がありません。そして同じ生きるなら、人様と笑顔で交わり合いながら、幸せな人生にしたいものです。

 生きるための場所も環境も選べない植物から見れば、動物は場所が選べるだけ幸せです。でも、どう生きても一生が終わるのですから、それまでは豊かさを極めて生きたいと思います。それにはやはり忘れかけていた大自然への脅威と感謝。そして「死」への恐れがなければならないような気がします。

 この地球上に生を受けた同志として、“人類みな兄弟”と云うインディアンに習って、人に優しく自分に厳しくです。えっ、今までは自分に優しく人に厳しくやって来たって?もう遅いかも知れませんが反省します。不完全な護岸工事に大金をつぎ込むよりも、高台に住宅用地を作って、安心できる住環境を作る方が良いと思います。  アホダラ教でした。

| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 18:27 | comments(0) | - |
甦るか田野畑の海が
田野畑村も美しいだけではない、美味しい海産物の海が復興できるのでしょうか?是非して貰わなければなりません。

ただ、港だった所には残モツが沢山入っていて、船では近寄れないほどだそうです。ですから復興の前に、残モツの撤去が先のようです。

港の復興をして、市場を再建して、加工場を再建して、船を出す。ここまでやらないと産業復興にはならないのです。職業も復興することになるのです。

でも今からの復興には、新たな理想を描けるかも知れません。だって全部が無くなってしまったのですから。道路から作業場からどうすればよいのか、再建し復興する為には以前よりもっと良いものができなければならないのです。

不謹慎かもしれませんが、漁港で水揚げするけど、住宅も工場も津波の心配がない高台にあり、作業小屋(番屋)だけは海の近くにある。仕事に差し支えはなく、住むには安心な環境。と云うようなことです。何百年に一度でも、必ず津波は来るのですから、絶対に被害を被らない方法にして頂きたいと思います。

早期に漁業の復興を考えるなら、共同船の導入でしょう。さっぱ船と同時に底引き船の様な本格的な船も必要でしょう。島越丸や羅賀丸でなければ田野畑丸のような名前での共同船。利益は平等分配方式。駄目かな?色々考えると興奮して来ます。

活気付いた浜が頭の中では甦ります。そんなに簡単ではありませんが、こうした青写真がまるで見たような興奮を生んでくれるのも事実です。

そればかりで山地酪農をやって来ましたから。そんな興奮を忘れないで、目標を決めてまずは、一歩踏み出すのです。その一歩は村民みんなでの一歩でしょう。想像だに愉快です。
希望を忘れないようにしましょう。


島越漁協があった場所 市場も事務所も・・?
(今度は写真がデカ過ぎ!)
| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 11:12 | comments(0) | - |
神仏やお天道様について
heidi様
返信が遅くなってしまいました。いつも本当にありがとうございます。

お天道様が居なくなってしまった頃から、人々の力が失われてきたように思います。人生観・社会観・結婚観など色々な事象の見方に変化が起きて来たのかな?

「昔から人間は変わっていない」と、断言する向きもありますが、要するに自分に起きてくる事象に対して、素直に受け止め、ただ進むだけ。そしてまた次も素直に受け止めるだけ。だって、現実ですからね。

素直に謙虚に生きられれば、100点だと思います。
上記のような生き方が出来るのは、「神仏やお天道様に見守られている」と云う、感謝の念が考え方の根底にあるかないかだと思います。(親に対しても感謝が出来るかどうか、前進力に大きく影響すると思います。)

でも、要するに、どう云う状態も元気に乗り切って、人生の開拓者になる為には、一々に負けてはいられない、と云うことですよね。
人生は短い、その短い人生をくじけずにいじけずに、進みたいだけです。

小生の場合、「山地酪農」と云う、大きな目標にたどり着けるかどうか分からないのですから。限られた人生の時間の中で、極力前進をするためには、どうしたら良いでしょう。
自分が目標を見失わずに、ぶれずに進むだけです。それに力を貸してくれるのが、神仏やお天道様になると云うことですね。


一度の人生と云いますが、ベテランはいない。みんな初めてです。
「限られた初めての人生」を、大きな目標を持って、高く掲げて、意欲に満ち満ちて、明るく笑顔で謙虚と感謝を忘れずに、前進して欲しいと願わずにいられません。

「地方の時代」を切り開けるのは、こう云う人だと思います。
時代が呼んでいる。(勝手な世界に入っていますね。失礼?)親父拝


追伸、サトミさんのその後。
ところで、昨日まで研修に来ていました、サトミさんは二週間の期間を無事に終えて、笑顔を残して北海道に帰って行きました。
早朝のバスで出て、着いたのは21時ころ。やっぱ北海道は遠いですね。
性格が明るいことは救いです。自分自身がどんなに救われるか・・。
時間とお金を使ってここまで来て、得るものがあれば、と願っています。

「元気に明るく前進だ!!」
| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 07:15 | comments(0) | - |
何でもやります!

一心に鎌をふるう里水さん

家の裏の予備放牧地(仔牛の放牧練習場)の、食い残しの菊やギシギシなど、鎌で刈って貰いました。なかなか経験がないようで、刃の向きが気になりましたが、一心に鎌をふるう姿は、「久しぶりの実習生だ」と思いました。

農村には明るい笑い声が、なかなかありませんが、違和感がなく、明るい笑い声を響かせてくれる、里水さんのお陰で、周りが明るくなっています。

上士幌の高校から、学級通信が先生のお手紙と共に届きました。
このブログも見て下さっているようで、通信に一部載っていました。先生のご厚意はきっと彼女に通じると思いました。

昨夜は、「ご縁」について、結構お話ししました。
今は神も仏も、余りいなくなってしまった時代ですが、神仏の力は我々が思う以上のものだと思います。

千葉県市川市生まれですが、私は学生時代に学んだ「山地酪農」をする決心を20才でしました。「山地酪農は場所を選ばず」どこでもできると思っていましたから、場所を選ぶつもりなどさらさらありませんでした。与えられた場所で、精一杯やるつもりでしたが、なかなか候補地に恵まれませんでした。ご縁あって、田野畑村の現在地になりましたが、これも沢山のドラマがあって3年掛かりで決まったのでした。

決まった以上は「ここより上はなし、ここより下もなし」を信条に、地元で関わって下さる方々に感謝を忘れずに頑張って来ました。良く来訪者が「どうしてここを選んだのですか?」と聞かれましたが、選ぶつもりなどありませんでした。「ご縁です。」とお応えして来ました。

自分が選んだところでは、周りと比較して、あそこの方が土が良いとか、あそこの方が条件が良いなどと、我がままや不満が出ます。神仏の思し召しで与えられた場所だと思えば、不満など一切ないのです。ここが最高の場所なのです。色々な問題は、落ち着いてから一つずつ解決して行けば良いのです。それが大切な考え方だと思います。

例えば、自分の存在は、親だって生まれて来るまで、自分のことだと知らないわけですし、(今はエコーなどで生まれる前に分かるようですが、それだって、お腹に宿った時に分かるものではありませんね。)子どもの立場でも当然親を選べるものではありません。では何でこの親に、何でこの子がこの親の元に生まれて来たのでしょう。

良く、「子供を作った」と云いますが、粘土細工ではあるまいし、作れるものでは決してありません。「授かった」のと、「作った」の違いは実に大きいと思います。自分のようなできそこないでも、神仏に授かったのであれば、我が子の存在は神がかっており、神仏が自分たちを選んで授けて下さったのですから、押し頂く存在です。ところが自分が作ったのであれば、できそこないの自分が作ったのですから、初めから存在の価値が信じられないのです。

仕事でも夫婦でも、事件でも苦しみでも、ご縁が授けてくれたと思えば、成長への大きなチャンスだと思えなくもないのです。このご縁を通して、豊かに成長するには、「学び」に変えて行くのです。

そう云う意気込みがあれば、感謝しながら色々なご縁を通して、苦しくても我慢して、笑顔を作って進んで行かれるような気がします。時には笑顔も引きつることもありますが、それでも必死に笑顔を作って、ご縁を信じて進むのです。いつかきっと誤解が解けて、信頼が生まれる時が来るでしょう。

鎌をふるうことにしても、成長を信じて日々の努力が実を結ぶ時がきっと来ることを信じれば、元気に鎌をふるうことが出来るのです。
周りに惑わされずに、自分の人生を通しての夢持って、高く掲げて、そこに向かって真っすぐに進む努力をして欲しいと思います。壁が高いほど、簡単には乗り越えられないけど、きっといつか乗り越えられるはずです。だって、自分は神仏に与えられた自分なのですから。

やはり小生は大変なバカ野郎ですね。
「青年よ、大志を抱け!!」です。

| 頑固オヤジ | アホダラ教 | 17:13 | comments(2) | - |
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